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2007年3月14日 (水)

最後の本会議

 昨日、任期最後の本会議が終わりました。

 予算の採決、そして、議員の費用弁償を実費とする議案の採決が行われました。

 例によって、各党から討論が行われます。共産党が反対、自民党が賛成、そして次が私。 

 今日はおもに、知事選を前に争点になりかかっている財政問題について。自民の推す候補が「県は借金体質、4年間で借金が5000億円増えた」と松沢知事を攻撃しています。ご本人は経営者として生の感覚でおしゃっているとは思いますが、これまでさんざ借金を増やしてきた側からおされた人がそんなこというのもおかしな話。これに対して知事は、「全国一の健全財政」と切り返しています。

 これどっちが正しいのという話がまず今日の命題。

 借金増えたのは事実だけれど、松沢知事だから増えたわけでもない。
 確かに、中田市長は、清掃工場の建て替えをやめて、かなり新規の負債が出るのを圧縮したけれど、松沢知事にはそういう進行していたプロジェクト止めるとかの動きはなかったわけで、退職金も4000万円満額とるつもりだし、財政再建に最大限取り組んだとは言えません。
 でも少なくとも「借金たれながし体質」ではなかった。
 岡崎前知事が98年の財政再建団体転落の危機からひいてきた行財政改革路線の「継承者」ではありました。
 いや逆に継承者でしかなかったと言ったほうがいいんでしょうか。自民系の知事ならもっとできたなんて絶対あり得ません。
 今度立つ人は「再建請負人」として売り出していますが、借金をどうやってへらすのか示されてないのでわかりませんが。・・・・
 でも、やれ新幹線新駅だ、やれ東京湾湾口道路だ、羽田神奈川口だ、リニア新幹線だという人たちに囲まれて、どうするんでしょう?

 今日知事に言ったのは、健全財政の自治体なんて一つもない、だから、「地域主権」の改革が必要なんじゃないですか、ということ。
 実際神奈川県も、知事の言う公債費比率は全国一低いかもしれないけれど、経常収支は義務的経費が95%、一時100を超えてたこと考えればよくなったんですが、財政力指数全国2位の神奈川県でさえ、ほとんど首が回らない状態に置かれているのが、いまの地方財政制度です。
 知事の4年前のマニフェストの「神奈川力で日本を変える」のスローガン、首都圏連合や道州制の提案には、こうした現状を改革しなければならないという志が感じられました。それが、4年間自民と因縁の対立関係になってしまって、借金批判をされたからと言って、「全国一の健全財政」と言ってしまったら、もう「改革」を求める立場でなくなってしまいます。

 松沢知事は、明日までにマニフェストをまとめるという話。中間発表された「条例マニフェスト」は、いろいろちりばめられてきれいではあるかも知れないけれど、4年前のマニフェストの明治以来の中央集権のこの国のかたちを変えることに挑戦しますというにおいが全くなくなっているように思えます。
 さあ、どんなのがでてくるでしょう?

 もう一点、マニフェストがらみで注文付けたんですが、それは明日書きます。

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2007年3月13日 (火)

費用弁償

 最後の本会議。予算に反対討論しました。松沢知事と自民の知事候補の県財政は「借金体質」か「全国一の健全財政」かの応酬を材料に。詳しくは明日書きます。

 任期最後なので、本会議の後、12階でお別れの懇親会。懇親してる場合じゃないんですけどね。お酒はもちろんなしのティーパーティ。
 今日の討論は、選挙準備のごたごた疲れで、切れがなかったと思っていたんですが、何人かの幹部の方からよかったといっていただいて、なんでこんなにおれって知事にからんじゃうんだろうという気分がちょっとだけ晴れました。

 その前に一階に下りて、喫煙所で用を足してエレベーターに乗ったら、テレビクルーと遭遇。本会議で議会出席の費用弁償が実費支給になる条例が通ったので、ニュース「ゼロ」の取材、降りたら声掛けられて、自民以外コメントが取れてないといいます。
 こっちはずっと前から改めるべきと言ってきましたが、交渉会派がみんなして退けてきたことですから、民主、公明、県政はどうなってんだ?

 政務調査費は、年頭の変更の必要なしから、議員特権批判の風圧の強さに「検討会議」を設置することになりました。それが、案の定開いてみたら、先送り。それなら、はじめから「改選後に検討」っていえよ!という感じです。

 大会派も議員一人ひとりはいい人だったり、立派な人だったりする人は多いんですが、なにせまとまるといけません。

 でも、この間の変化は、マスコミのキャンペーンもありましたが、やはり政治変えるのは、市民感覚、世論の力ということを示しています。もう何も変えないというのはありえないと思いますが、領収書全額添付になるか、川崎のように5万円以上でお茶を濁すことになるかは、4月の選挙の結果次第でしょうか・・・・・

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2007年3月 9日 (金)

県市立高校定時制 志願殺到!

昨日、県内公立定時制高校の後期選抜志願変更が締め切られました。

6日の締切までに、定員1124名のところに1692人が志願。568名も上回りました。

県教委は、急きょ210名定員を増やして志願変更を受け付けましたが、ほとんど志願先はかわらず(十分空きがあるところがないんですから当然)、拡大された定員1334名に対して1673名が志願、いぜん350名以上の不合格者がでる恐れがあります。

2002年、横浜市が港高校の定時制の募集を停止した(その後廃校)年から、毎年2次募集で不合格が出ていました。(04年 101人 05年 55人 06年 68人) 経済的理由で、どうしても私学には通えない生徒、いじめや不登校で学校になじめなかったけれどそれでも高校に入りたいと志願してくる生徒をはじき出していたのです。

県教委は全日制進学率が30年以上ぶりに90%をきったこととあわせて、この事態をもう繰り返さないと昨年春から何度も決意を述べ、今年の公立全日制の定員は、中学卒業生の増加分700人のほかに全日制の希望がかなわず定時制に流れていた生徒分として500人をくわえ、計1294名増やして入試に臨みました。一方、定時制の定員は、全日制に振り替えたとして300名減らしました。その結果が、この事態です。

私は文教常任委員会で、最低2000名の全日の枠を増やさないとあぶないといっていたんですが、危惧したとおりとなってしまって、大変残念です。

昨日(8日)の最終の委員会で、これまで約束してきたことに責任をもって対応することを求めました。

2002年以前は、定時制はほぼ全入でした。義務教育じゃない、選抜試験だから全員入学はふさわしくないという考えもあります。かつて集団就職の「金の卵」が学んだ夜間高校の役割は終わったという考え方もあります。

もちらん高校に入れなくても、フリーターしながらでも、一人ひとりのいろいろな生き方にそれぞれ価値があるし、学校に縛られるより結果として良かったという人はいっぱいいるだろうし、フリースクールなど学校以上に魅力的な場所も少しずつ育ちつつあります。本人は嫌なのに親に無理やり願書を出された生徒もいるかもしれません。

でも、そこに志願してくる以上、学ぶことであったり、居場所・友を求めてであったり、本人は気づいていなくてもなにか希望を持っているから志願しているのであって、それをできうる限り受けとめて、一人ひとりの成長を助けるのが、公教育、公立学校の勤めではないでしょうか。

ここでこの350人を切り捨てていいとするなら、それは「15の春を泣かせるな」と長洲知事が進めた県立高校100校計画を大もとから間違っていたものとすることになります。

経済的困難にしても、いじめや不登校によって学力困難になった生徒にしても、それはそういう経済を招いた、学校現場の混乱した状況に長く対応能力を失ってきた大人の責任であって、そのツケを生徒に回してはなりません。

さてどうするか。昨年は、定員超過が150名ほどでて、各校が計90名、定員を超えて合格をだしました。(校長裁量で定員の5%まで超過合格を出せる。通常は、試験が同点でどちらかを落とすわけにいかないといった場合の規定)その分、教職員と何よりすし詰めにされた生徒に無理をかけてきました。

今年は、こんな対応ではとても追いつきません。3年前は、不合格になった生徒が101人、ちょうど同じ数定員に満たない学校があったので、担当の課長と「通学に1時間2時間かかっても学びたい生徒がいるなら受け入れろ」と何時間も議論をして、異例の3次募集をやってもらいました。今年は、すでに定員に満たない高校は3校だけ、29名分しかありません。これも無理。

こうなったら定時制を設置していない高校のひさしを借りて分教室にしてでも、クラス数を増やして受け入れてもらうしかありません。

言ってることわかると思ってくださる方は、ぜひ県教委に声を寄せてください!

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2007年3月 6日 (火)

都知事選

浅野さんが出馬表明。これで都知事選、期待が出てきました。 4月8日まで、選挙の話題は都知事選一色になると思うと、神奈川県政、松沢県政の是と非をしっかり見極めて判断してもらいたい私たちにすれば気がかりなところもありますが。

浅野さんと言えば、厚生省時代にベビーホテル対策をともに練ったという千葉の堂本知事の選挙応援に来られた時の軽妙な語り口を思い出します。

「私ははるばる仙台から来ました。なぜ、そんな遠いところから千葉へやって来たかといえば、選挙の形が変われば政治が変わる、政治を変えたければ選挙の形をかえなければ・・・・」

当時勝手連選挙を戦っていた堂本さんにぴったりの言葉を生き証人が語る、元気になりました。

黒川さんじゃないけど、石原慎太郎には誰かがといわずみんなで引導渡さなきゃ。

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